=小さなシーンにも、物語が流れています。
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今、言葉は買い手(読者)市場です。読者のレベルに応じた言葉・文章でないと、読んでもらえないし、売れません。最近の新刊書を読んで言葉が軽いと感じるのはそのためでしょうか。岩波の緑や黄など、昭和の新書と読み比べると、言葉の重厚さが違います。
一方、売り手(書き手・出版社側)の視点に立てば、読まれない=売れないので、どんどん読者に合わせていく。売れるための文章、映像化ありきの小説があふれてしまう。
日本ペンクラブ会長の浅田次郎さんが書いていました。「最近の作品は語彙が貧相だ」と。
東京都知事の石原慎太郎さんも芥川賞選考委員を辞任するにあたり、「バカみたいな作品ばかり」「刺激のある作品がない」「いつかは足をすくわれると思っていたが…」などと不満をもらしました。
書き手と読み手、双方の力量が落魄しているのでしょう。
昨年、取材資料として、奈良市の外郭団体が奈良伝統工芸を解説した文章を読みました。
堅苦しい文章です。書き手の年齢にもよるのでしょうが、故意に難しく書いています。自己顕示なのかもしれません。
その解説記事は冒頭1行に「詳らか」という言葉が出てきます。
いきなりそう言われて、漢字と意味がスッと出てくる読者は多くないと思います。それでは外部に魅力が伝わらないし、読む前に興味がしぼんでしまう可能性だってあります。
奈良を外部に紹介する文章がそれでいいのかといえば、奈良県移住2年目のぼくとしては、それでいいとは思いません。
買い手市場はまだまだ続くでしょう。これなら読者は読むだろう、理解してくれるだろうという書き方・作り方は思い込みにすぎません。思い込みは、思いあがりにつながることもあります。そうなると、読者はどんどん離れていきます。
いい文章を書くには、いい文章を読むことです。はしくれ記人のぼくの能力は一向に上がってきませんが、個人的には、浅田次郎さんのエッセイをおすすめします。お馬鹿で笑えるエッセイが多いのですが、日本語がとてもきれいに並んで、文章を織り成しています。
原稿用紙10枚の1編を読むのに、2度・3度と辞書を引かなければならないこともあります。でも難しい文章ではない。あくまできれいな文章なんです。
きれいな文章は、読んでいて気持ちがいい。読者からそんなふうに感じてもらえる言葉はしあわせです。 //
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