
=愛媛県内子町の街道。古くて、でかくて、落ち着く、不思議な町並みだった。
■言葉に耳を傾ける■
昨日、愛媛で農業をしている祖母に電話をかけた。電話口の祖母は大きな声でしゃべり、とても元気そうだった。
田植えが終わり、最近はかんきつ類(伊予柑やデコポン)の消毒に忙しいのだという。
ぼくが幼いころによく出荷の準備を手伝った長ナスもまだ作っているのかと聞くと、そうだと答え、続けて、「何十年も植えとるけど、おんなじもんはできんよ。『農家の来年』ていうように、おんなじ畑に、おんなじように植えても、毎年違ったもんになるんよ。ほうよ、ばあちゃんでも毎年サラよ」と言う。
サラというのは“初心者”に近い意味で使ったのだろう。
農家に生まれ、農家に育ち、農家で生きてきた祖母でも、いつも満足いく作物を作れるわけではないのだ。日照や雨、気温、土の状態…自然にいのちをゆだねる生き方をしてきた老人の境地は奥深い。
最近読んだ本『アメリカ・インディアンの口承詩』にこんな歌が載っていた。
「かぎりなく遠い むかしからじっと おまえは休んでいる
走る小路の真ん中で 吹く風の真ん中で おまえは休んでいる
鳥の糞を身体いっぱいにかぶって 足元から草をぼうぼうと生やして
頭を鳥の綿毛で飾られて おまえは休んでいる
吹く風の真ん中で おまえは待っている
年老いた岩よ」 (オハマ族)
言葉の中には、山川草木岩風すべてに生命が宿り、人はそれらに生かされているという観念がある。現代のぼくらは、道端の石ころに生命を探し出せるだろうか?
10年ほど前、大学時代に買ったシャツをこの夏も着ている、物持ちのいいぼくでも飽食・使い捨て・無駄遣いの心当たりはある。祖母にも、インディアンにもかなわない。
自分の未熟さに向き合うために、今年の夏は「鍛錬」をテーマにしよう。//
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